「母親」という呪縛に縛り付けられていると気づいた件
を書いて読み返して、自分自身「良い母親」の呪縛に縛り付けられているんだと気づいた。
何で服装のことを言われて腹が立つのか、何で同窓会行くだけで育児放棄と言われて腹が立つのか。
これはやっぱり心のどこかで図星だと思っているんだ。
「こんなこと言われる母親でごめん」って心の中で子供に謝った。
良い母親になりたい。
アレもコレも全部やって全て完璧にしたい。
誰にも文句言われないような良い母親になりたい。
完璧にやったところで良い母親の称号を得られるわけでもないのに。
素晴らしく良い子に育つ保証があるわけでもないのに。
娘が産まれた時、私はちょっとした育児ノイローゼになった。
予定日より1ヶ月程早く産まれ、小さかった娘を抱え、自分のせいでこんなに小さく産んでしまったと責めた。
何故かひとりで頑張らないといけないと思っていた。
可愛い我が子が産まれたんだから楽しまなければいけないと思っていた。
辛くても「楽しいよ、子供可愛いよ」という風に見せなくてはいけないと思っていた。
それが母親だと思っていた。
そして私は発狂した。
娘を抱いたまま泣き続けている私を見た仕事帰りの旦那はさぞ驚いたことでしょう。
私を見た旦那はただ驚き、私の話を聞いた後泣いた。
その後旦那が言ってくれた言葉を私は一生忘れることはないでしょう。
「俺は幸せ者や。家族のことをこんなにも一生懸命考えてくれる嫁さんをもらって。お前が頑張ってくれてるのを全部当たり前やと思っててごめん。一人で頑張らんで良いねんで。母親やから全部やらないとアカンってことは絶対ない。何のために結婚したん?もっと頼ってや」
この時すっと気持ちが軽くなったんですよね。
家族みんなで頑張れば良いんだって思いました。
その時に呪縛から逃れられたと思ったのですが、知らないうちにまた縛られていたようです。
誰かに良い母親だと褒められなくても、子供が元気ならばそれで良いんですよね。
外野が何と言おうと、母親がどうであろうと、本来それで良いはずなんです。
勉強が出来たり、秀でた才能があるに越したことはないけど、とりあえず元気な子供が育てば良い。
子供が可愛いと思えない時があっても良い。
育児が楽しいと思えなくても良い。
人生疲れたと思っても良い。
嘘くさい笑顔で過ごすぐらいなら、人間くさく泣く方が良い。泣いたらまた明日頑張ろう。
そう思いながら、家族全員元気で笑顔の多い人生を歩めるよう、今日からまたゆるーく頑張っていきます。